【世界旅】アンコールワットの参道
朝起きて、夜眠るまでの間に一体何を見て、何を考えて、何を思うだろう。
ある人は車を作り、ある人はビルを建て、またある人は新聞を運び、子どもたちは走り回っている。
繰り返される毎日。
人間の感情は、常に移り変わるように、太陽も止まることを知らない。
朝
まだ暗いうちに目を覚ます。
アンコールの朝は早い。
バイクに乗って、アンコールまで到着。
すでに多くの人が集まっている。
三脚を持ってきているのはほとんどが西洋人だ。
彼らはアンコール同好会でも結成しているに違いない。
月イチの集会には、「アンコール撮影時においての適切なカメラ絞り値の検討、適切な場所取り方法」なんかが話し合われているんだろう。
待機
人生の中で太陽を出待ちする場面は、なかなかないだろう。
しかし、ここでは毎朝、出待ちが行われている。
考えてみれば、太陽を出待ちするなんておかしな話だ。
太陽なんて待っていなくても、必ず毎日その光を浴びることができる。
しかし、ここで重要とされていることは、眠さの中で見る太陽なんかではなくて、生命の誕生の瞬間、言い換えるなら、赤ちゃんが生まれる瞬間の”あの”神秘性なのである。
何かが現れる瞬間。
無から有が誕生する瞬間。
そこには何か感覚的なものを呼び起こす力があるのだ。
参道
真っ暗な中、待ち続ける。
人々は、闇の奥にある何かを見ているのか、それともそれぞれの内の世界を見ているのか。
赤ん坊はその瞬間決意をした!
だんだんと、ジワーーと空が光を受け入れていく。
空にやわらかな光が充填していくにつれ、人間の期待感も湧き上がってくる。
その期待感に答えるかのように、目の前にはツノが浮かび上がってくる。
目の前の外の世界に気をとられていた僕たちは、ふと我に返る。
自分と他人の曖昧だった境界線は今、はっきりしつつある。
僕たちは2つの世界を生きている。
目を開けたときに見えるものも、目を閉じたときに見えるものもつながっている。
現実が厳しいと、心も厳しくなっている。
悲しいことが起きたら、悲しくなる。
そんなときは内側に籠もっていたくなるけど、
そんなことを忘れてしまうぐらい素晴らしい誕生に出会うことができる!
僕たちもアンコールのようになれるんだよ。
手を失った犬が僕を案内してくれた。
さて、次はどこへ連れってってくれるのかな、、、
朝起きて、夜眠るまでの間に一体何を見て、何を考えて、何を思うだろう。
繰り返される毎日。
人間の感情は、常に移り変わるように、太陽も止まることを知らない。
【20車線の道路】ミャンマーネピドーへ行ってきた
ネピドー
って一体なんなんや。。。
ミャンマーは今色々と混乱が生じている。
その混乱が起きる前に僕はミャンマーの首都ネピドーへ訪れた。
普通こんなところに行く観光客はいない。
世界一首都ぽっくない首都なのかもしれない。
ミャンマーに来たからには、行かなくてはならない。
そんな使命感が僕をネピドーへ向かわせた。
ミャンマー人にとってのネピドー
ヤンゴンは昔は首都として機能していた。
それが2006年を境にヤンゴンからネピドーへ首都が移転された。
怪しすぎる。
これはなにかがあるに違いない。
僕は滞在していたホステルのスタッフにネピドーのことを聞いてみた。
しかし、彼らは微妙な表情をした。
そして行ったことがあるかと聞くと、笑いながら、あるわけ無いやん!みたな感じで答えた。
これはミャンマーのタブーに違いない。
翌日、僕はネピドーに向けて出発した。
誰も降りないネピドー
ネピドーに到着した。
こんなでっかいバスで降りるのは自分ひとりだけ。
ミャンマー人はネピドーには来ない!
僕は予約していたネピドーで一番安い1泊3000円のホテルの前に降ろされ、バスは走り去った。
ここには観光客がいないからドミトリーなんて存在しない。
なんだか不安になってきた!
宿はこんな感じで、リゾート感。
そして敷地はとにかくバカ広い。
世界中の首都では日々、限りある土地を取り合い、高層なビルを建てることに必死になっている。
しかし、ネピドーは違う。
壮大な田園地帯に突如として首都が出来上がる。
そこでは、人間同士のいざこざも、米騒動も、デモも、文化も生まれてこない。
広すぎる空っぽのパークにどのような遊具を入れていくことのみが考えられるのである。
誤解をしないでほしい。
僕はこの旅は一人で来ているし、夜誰かを連れ込もうとしているわけではない。
毎日のドミトリーでの生活は他人の目を気にするし、多少の気を張ったまま過ごさねばならない。しかしそれも慣れてしまえば、居心地がいいものだ。
今、僕の目の前には、ダブルベッドに2セットのタオルが用意されている。
この何もない田園地帯に置かれたようなリゾート風ホテルで、夜、僕は一体何を考えればいいというのだ!
当時の記憶を思い出してみても、ネピドーとは、空白、広大、田園、何もない、
それはまるで出来損ないのメレンゲのような無味無臭で密度のないものとして存在し続けている。
移動
ネピドーの移動手段は絶望的だ。
人がいないところにはバイタクのオッチャンの逆引きも、バスも、タクシーもない。
タクシーは呼ぶことができるが、バカ高い。それに、水を買いに行くためだけにタクシーなんて呼んでられない。
なのでホテルでバイクをレンタルするしか選択肢はない。
ホテルのバイクレンタルは30分ごとに料金が加算される意地汚いシステムだ。
そういえば、ホテルの従業員の目もなんだか汚らしい目をしていたな。
違和感アリアリのこの土地で、僕はもうすでにここから離れたいと思うようになっていた。
ネピドー散策
とりあえずマーケットに向かった。
これが、、、マーケット
賑わいがない!
東南アジアのマーケットっていったらもっとこう、、、汗じみた、、、民衆の生の活力みたいな雰囲気があるよね?
それがネピドーにはいっさいない!
マーケットでの収穫は0だった。
次に僕はネピドーの一番の見どころである20車線道路に向かった。
20車線の道路
大臣「首都において最も問題なのは、増えすぎた交通渋滞をどう改善するかであります。」
官僚「しかし、大臣!ネピドーではその心配は全くありません。なぜなら交通渋滞を引き起こす人がいないのですから。」
大臣「グッドアイデアだ!」
ネピドーでは都市問題など起こるはずがないのだ。
ネピドーにあるのは空とバカでかい道路だけなのだ。
それではご覧いただこう。こちらがネピドーが誇る20車線道路だ。
バン!
なんということでしょう!
見渡す限り壮大に広がる、、、、道路、、、、、、
振り返ると、、、
、、道路。
そして最後に、、
一緒に記念撮影!
生まれて25年間で初めて道路と一緒に記念撮影。
こんなことをしていると、銃を持った軍に取り締まられそうになった。
ここは軍事政権がつくった街だということをわすれてはいけない。
ヤンゴンにあるホンマもんのパゴダのレプリカが、ネピドーに作られてある。
ミャンマー人はどこにもいない。。
これがミャンマーの首都ネピドーの姿なのだ。
【ミャンマーでヒッチハイク】ニャウンシェからカローへ
カローへ
ヒッチハイクなんて無縁なものだと思っていた。
しかし旅をしていると、そんな無縁なものと近づける力が働くのだ。
なぜカローという地を目指しているのか。
その訳は、タイで日本人のバックパッカーに出会い、ミャンマーのカローでトレッキングをすると聞いたからだ。
行きあたりばったりの放浪旅では、人との出会いが行き先を決めることとなる。
トレッキングも人生初。
前も後ろも気にしなくていい毎日では、何でもできる気がした。
まずはニャウンシェからカローへ向かう。
60kmの道のりをさあ、どうやっていこうか。。
昨晩、インスタグラムで同じ時期に旅をしている人がヒッチハイクをしていることを知った。
「自分でもできるかもしれない。」
そんな旅の無敵感を味方に、バックパックを背負い、路上へむかった。
とりあえずカローに向かって歩き出す。
街中には、客探しのタクシーや、バイタクのおっちゃんが暇そうにしている。
それらの呼びかけを交わし、歩いていく。
車の量はそう多くはない。
常に後ろを気にしながら、タイミングを伺う。
1台、2台と手を伸ばしたが、止まってくれず、10台ほど通り過ぎたところで、1台の人を乗せたトラックが停まってくれた。
人生初のヒッチハイクはあたたかかった。
この家族に途中まで乗せてもらった。
ヒッチハイクはヒッチハイカーよりも乗せてあげる人のほうがすごいと感じた。
僕はその優しさを受け取るだけなのだ。
カローまで半分ほどの距離で彼らにお礼をして、お別れをした。
2台目
さっきよりも大通りへ出た。乗せてくれた家族もしばらく、次の車を捕まえようと一緒に手を伸ばしてくれた。
しかし、なかなか捕まらなかった。
別れを告げ、僕はまた歩き出した。
なるべく車が止まりやすそうなところまで歩いていく。
バックパックは合計30キロ近くあり、長い距離を歩くのはしんどい。
道路が広くなっとところを見つけ、30分くらい手を伸ばしていると、1台のバイクに乗ったおっちゃんが止まってくれた。
僕は「カロー?」と言い、おっちゃんは笑顔で後ろに乗れと言った。
なんて優しいんだ。
僕が大荷物にも関わらず、当たり前のように乗せてくれた。
パンク
おっちゃんは、カロー手前の街でいったん止まって、誰かに話しをして、再びカロ−に向けて走り出した。
そしてあと5キロほどとなったとき、急にスピードが落ちた。
おっちゃんは、バイクを止め、僕に降りるよう言った。
パンクだった。
間違いなく、僕と荷物の重みでタイヤが耐えられなかったに違いない。
申し訳ない気持ちだった。
おっちゃんは笑顔だった。
僕とおっちゃんは歩いて、しばらくすると修理屋さんがあった。
おっちゃんに悪いので、修理代は出すと言った。
しかし、おっちゃんはいいよとまた笑顔でそう言った。
カロー到着
おっちゃんは、僕をここまで届けてくれた。
そしてなんと来た道を引き返して行ったのだ。
おそらく、わざわざ僕のためにここまで来てくれたのだ。
さっきの手前の街がおっちゃんの目的地だったのだろう。
パンクまでさせて、本当に感謝しかない。
ヒッチハイクとは
ヒッチハイクは普通の移動では感じられないものを体感できる。
人の親切心だったり愛など。
人が人を運ぶというのは、本当はめちゃくちゃすばらしいことなんだ。
便利になった社会ではそんなことを忘れてしまう。
お金を払えば、勝手にチケットが出てくるし、当たり前のように移動ができる。
でもそのタイヤは誰かが作っているし、その道路も、車も、バイクもパンクを修理する人もすべては誰かの働きによるものだ。
それを忘れずにいたい。
今日はぐっすり眠れそうだ。
【アジア横断世界旅】ミャンマー カックー遺跡へ
カックー遺跡を目指して
朝、ニャウンシェのゲストハウスを出てカックー遺跡へ向かうことに決めた。
ニャウンシェからカックー遺跡へは70km近くある。
インレー湖を南に行くルートで目指すことにした。
もちろん自分はツアー嫌いなのでバイクを借りることにした。
日本にいたときはバイクを一度も乗ったことがなかった。
車の講習のときに原付き講習があったが、それさえも受けていなかった。
だから僕はベトナムではじめてバイクデビューを果たした。
はじめは怖かったが、走り出してしまえばもう怖いものはない。
しかし、慣れてきた頃が一番気をつけなければならないのだ。
ゲストハウス近くのレンタルバイク屋さんでバイクを借りた。
アジア圏のレンタルバイクは、はじめに燃料が抜かれているので、まずガソリンスタンドに行かなければならない。
ミャンマーは95と92の燃料がある。
どっちかわからない。。。
店員はどっちか聞いてきたが、わからないでの適当にいれてもらった。
田舎のガソリンスタンドで働くミャンマー人に悪い人がいるはずがない。彼らを100%信頼していれば問題はない。
ミャンマーとはそういう国でみんなやさしいのだ。
いざ、カックー遺跡へむけて走り出す。
日本の70kmの距離は遠い感じがするが、旅中の70kmは日本の3kmほどに感じられる。
今、この状態において、もはやホームは日本ではない。
あまりにも離れすぎていて、ホームの座標軸を失っているのだ。
ホームに対する自分から解放されている。
自分がいる今この場所がすべての中心地点なのだ。
だからどこへ行っても無敵だし、距離を感じないのだ。
そんな風に思っていると、
前から大量の牛が迫ってきた。
そして隣には積載オーバーの日本製のケートラが走ってくる。
この牛たちは僕がたどってきた道を行き、僕は彼らがたどってきた道を行く。
この瞬間、どちらかが道を譲らなければ、お互いが衝突を起こすことになるだろう。
もちろんこんなところで、その後の生命に関わる衝突をするわけにはいかない。
戦いに破れた平氏の目の前には新たなる敵があらわれた。
今度は楽勝だ。
敵はのんきにミチクサを食ってやがる。
僕は、この勝ち戦に余裕でウエハースをかじりながらバイクをぶっ飛ばした。
しかし、その瞬間!
ズゴゴゴォォォぉぉおおおおお!!
やった、、、
圧倒的勝利を目の前に大敗を喫した。
この旅、お気に入りのユニクロ製シャワシャワズボンに穴を開けてしまった。
そして幼い頃に割と激しめにコケたあの感じくらいに手足を擦りむいて血が出ていた。
昔なら泣きじゃくってお母さんにナグさめられることができたが、今の自分の姿は落ち武者同然だった。
アスファルトの道路で甘々に飼いならされた日本人にはミャンマーのカントリーロードは少々手厳しいものだったようだ。
タイヤと地面の間に砂が入り、緩やかなカーブに差し掛かったところで、敵は道を開けて待っていた。
僕は完全に敵の図中にハマったのだ。
若干のテンションの落ち込みはあったものの、無事カックー遺跡に到着した。
こんなところにパゴダが密集しているだなんて、、、
天に向かうような気分。
この瞬間、足の痛みも何もかも忘れ、空と自分とパゴダがただ存在するだけだった。
さて帰ろう。
夕日はいつでも帰る場所を思い出させてくれる。
【世界旅】ミャンマーネピドーからインレーへ カックー遺跡を求めて
ミャンマーなんて全くの未知の世界だった。
会社を辞めて世界を旅をすると決めたときは、まだミャンマーのことなんて何も知らなかった。
ここへ来ることも、自分はそれまでの人生で考えたこともなかったし、望んだこともなかった。
しかし、彼は今、ミャンマーの空気を吸い、ミャンマーの大地を感じ、空を眺めている。
彼の中のミャンマーは拡大した。
さて、2年前の2019年11月5日、ミャンマーという国にやってきた。
先月、滞在していたタイのゲストハウスで出会った日本人のバックパッカーのおっさんから、ミャンマーで見たカックー遺跡が良いと紹介されたので行くことに決めた。
カックー遺跡があるのは、ミャンマーのインレーという地域だ。
インレーへは首都ネピドーから地元バスで向かった。
何もないネピドーには観光客は誰一人存在しなく、空白の時間をすごしていた。
ミャンマーでの移動中はこういう休憩所に立ち寄ることが多い。
休憩中決まって食べるのが安心安全のフライドライス。
カンボジアで腹下してから、作りおきの料理は食べないようにしていた。
焼き飯がバックパッカーには一番安全だと思う。
そして出発してから4〜5時間ほどでインレー湖周辺の街ニャウンシェへ到着した。
ニャウンシェにはゲストハウスがいくつかあり、価格も一泊500円くらいと安い。
自分が滞在したのはBright Hotelというところで滞在者のほとんどは西洋人だった。
停電は何回か起こったが、普通に快適だった。
ここインレーの観光客はほとんど西洋人だ。特にここらへんはスペイン人が多かった。
旅をしていると、西洋人が多かったり、中国人が多かったり、地域によって違っていて面白い。
夜ご飯はミャンマーなのにタイ料理パッタイを食べた。西洋人が多いとスプーンには紙が巻かれるようだ。
味は普通においしかった。
一昨日の晩御飯は思い出せないが、旅で食べたご飯は、2年が経っても、味や環境を思い出せる。ここの店員は女性のタイの人だった。
ニャウンシェの街は特に何かあるわけではない。普通の田舎の街でバックパッカーの宿があるくらいだ。
それと、たこ焼き屋もあった。
明日はカックー遺跡へ向かう。